バイアスとヒューリスティックの意味を登山の例の置き換えて説明しましたが、今回はバイアスとヒューリスティックがもたらすビジネス上の影響を、NikeとAdidasのビジネス例をもとに説明していきます。実際に自分はNikeとAdidasの両方の事業にそれぞれの本社で関わったことがあり、マーケットデータという市場の事実と、実際の会社の中の姿から見えた文化をもとに考察しています。全ての内容が必ずしも多くの企業に当てはまるわけではないと思いますが、それでもイノベーションを起こす、業界をリードするためには下記内容の理解と共感は有意義だと思います。

2012年頃まではNIkeとAdidasの間には大きな差はありませんでしたが、パンデミックをきっかけに両社の差は大きくなっていきました。背景にはオペレーションの様々なデジタル化やブランド力があり、Adidasがシェアを奪い返すためには、今まで以上に市場をリードする姿勢を見せなければ、実現の可能性は非常に低いです。

マーケットデータが表す事実

まず、NikeはアメリカのPortland、AdidasはドイツのHerzogenaurachと地方都市で誕生しています。そして、事業が誕生したのはNikeが1964年、 Adidasが1949年とAdidasのほうが歴史は長いです。一般的には、先に市場に誕生した事業者のほうが、色々先手が打てるため市場を独占しやすいと言われてますが、しかし、後発組のNikeが実はAdidasよりもずっと売れており、マーケットシェアも取っています。2010年ごろまではそこまで大きな差はなかったのですが、2023年時点で倍以上のセールスの開きが両社にはあります。なぜここまでセールスに差がついてしまったのか?要因は数多く考えられますが、もっともだろうと思われる要因の1つは、Nikeが他業者に先立って色々な新しい取り組みを最初に仕掛けていることがあげられます。

実際に、ECサイトをNikeは1999年に立ち上げ、カスタマイズサービスのNike IDも同年1999年から開始しています。ところがAdidasは2006年にECサイト立ち上げと、なんとFoot Lockerよりも遅いのです。カスタマイズサービスもNikeよりかなり遅れて開始しています。スニーカーやウェアの素材開発などもそうで、ほぼ全ての領域で明らかにNikeのほうが先手を打ってビジネスをしかけています。

何かを先に始めたから、よりビジネスが成功するという安易なロジックは存在しませんが、それでも先に始めることで得られる経験値の大きさや多さは、金額では表すことのできないプライスレスなものです。こういった経験値がNikeが常に市場をリードしている姿勢に繋がっているのは間違いありません。

オンラインの売上規模だけではなく、商品数もAdidasはNikeとFootlockerには遠く及びません。売る商品数が多くなればなるほど、その分管理も大変になりますが、セールスにおいて圧倒的に有利な状況に立てるのは明確な事実です。

なぜNikeが先に始められているのか?

このマーケット事実をヒューリスティックの視点で見ていきます。Nikeの本社機能はアメリカで、Adidasはドイツです。両社とも世界的に成功しているグローバル企業で、多国籍あふれる多様性に富んだ従業員構成です。しかし、新規事業といった新しい取り組みを考えるアクションは、ほとんど本社に集約されている上層部の人材で行わており、上層部の人材の大半は地元出身か、本社のある国で長くビジネス経験をしてきた人で構成されています。何か新しい取り組みの議論がされるさいに、自然とNikeはアメリカ人的なヒューリスティック、Adidasはドイツ人的なヒューリスティックが大きく作用するだろうことは容易に想像がつくと思います。そして、これがもっともわかりやすく現れているのが、AdidasのECサイトがNikeより遅く始まったという事実なのです。

ドイツではもともとデジタルマーケティングが非常に遅れており、市場もアメリカほど小売店競争が激しくないため、製品やサービスを売るためのセールスやマーケティング戦略の強度が、アメリカとは比較にならないぐらい弱いのです。弱いというのは、悪いという意味ではなく、対応する範囲や考え方が圧倒的に狭く単一的で古典的なのです。広告キャンペーンのアイデアや実装に限ったことではなく、例えば配達に関わることだったり、小売店での買い物体験など、広範囲に渡ってセールス&マーケティングで必要なもの全てに当てはまります。実際に自分が関わってたAdidasのプロジェクトでは、「え、今更これ開発するの?」と、目を疑いたくなるぐらい時代遅れのテック系ソリューションが実装されていました。

そもそもの話として、何か新しいものを潜在的に消費者が求めていなければ、新しいビジネスをする必要と意味はありません。しかし、それは結果的に市場全体に新しい製品やサービスの知見が遅れて入ってくることも意味します。また、ドイツでは消費者が求めているかどうかとは別に、法律で様々なビジネスが守られていることも新規ビジネスが参入しにくい背景にも繋がっており、結果として新しい知見を得ることがアメリカ企業と比較して非常に遅いのです。

ちなみに長距離バスサービスの自由化がドイツで始まったのは2013年とものすごく最近でした。つまりそれまではモバイルアプリで長距離バスチケットを買うとか、新しいやり方が存在していませんでした。これが結果的にUXデザインの観点で何を意味するのかは、説明不要ですよね?

white vehicle

世界中のほとんどの国で長距離バスは昔から提供されており、競争が激しい業界なので、事業者は座席の工夫やWifi完備、モバイルアプリの提供など様々な改善を行ってきていますが、ドイツのバス事業者にはまだまだこういった知見が圧倒的に足りてません。

どこの市場で何を見て経験して育ってきたか?

今のZ世代は生まれてから様々なデジタルツールに触れているため、他の世代と比較してモノゴトの捉え方が全く異なります。これと似たことが、世代という時間軸で見たのではなく、場所で捉えた話が「NikeとAdidas」の例になります。ECサイトの立ち上げでも、カスタマイズサービスの立ち上げでも、何か新しい製品やサービスを考える必要があるのであれば、すでにそれらのやり方や価値を十分に受けてきて激しい市場競争の中で育ってきた人が関わるべきだと断言できます。でないと、競争力がある市場で提供している製品やサービスをどの強度で改善していくべきなのかの判断がわからないのです。バイアスとヒューリスティックを登山に置き換えた話と全く同じです。低い山(競争力がない場所)と高い山(競争力が厳しい場所)に登った人とでは、市場に対する捉え方がそもそも異なります。

2010年頃までは、2007年にスマートフォンが誕生して間もなかったという背景もあり、各国でのセールスやマーケティングのやり方だったり、新製品やサービスの乱立もそこまで大差はなかったかのように思えます。しかし、BlockchainやAI、VRなどといった最新技術やスマートフォンの進化などにより、新製品・サービスの種類や提供の仕方が国や地域ごとで大きく変わってきています。それに伴って、結果として未だに化石的なやり方をしている市場や一部の業界、ハイテクを駆使した市場といった具合に様々な進化の分断が発生しています。日本で未だに紙ベースの行政サービスが多かったり、Uberが浸透していないのも、こういった状況の一部です。テクノロジーの恩恵をリアルタイムで経験していない高齢者層の経営陣のヒューリスティックが強く作用してしまっている結果なのです。分断が起こることはどうにもならないことですが、なぜ分断が起きてしまうかの背景を事例をもとに実感できれば、Nikeの例のように様々な先手を取ることはできるはずです。